independence-Dは、当初から3年計画として、2005年から開催されました。インディーズの音楽シーンを活性化させるために、オーディションの企画イベントをやってみないかというのがそもそもの発端でした。オーディションは、われわれがやるものとしてはスケールが小さすぎるし、インディーズのレーベルには、それぞれカラーというものがあります。レーベルごとにどういうことをやりたいか、どういうアーティストを求めているか、そのまわりにどういうファンがいるかというマーケット講造なので、オーディションにおいても、そこをしっかり意識して、吸い上げていくという「流れ」を作りたいと考えました。
そこで、レーベルを集めるスキームを、オーディション以外にも作ろうということで、レーベルが主体となったコンベンション、見本市として、independence-D 2005を開催しようということになりました。そして、その見本市は、ファンはもちろんですが、世界に向けて発信できないだろうかと考えました。SXSW(サウス・バイ・サウスウエスト:毎年3月にアメリカ合衆国テキサス州オースチンで開催されるアメリカ最大の音楽コンベンション)のように世界中のインディーズのレーベルを日本に集めて、世界の音楽を日本に紹介して、日本の音楽を世界に紹介できるようなイベントにしていこうということでした。いま現在はレーベルなど、どことも接点のないアーティストも、その流れにはいることで場合によっては海外レーベルと契約できるということもあるかもしれないし、海外でのライブ活動につながるかもしれない。現にindependence-Dをきっかけに海外でのライブ活動を行ったアーティストも現れ始めました。
インディーズレーベルというのは、アーティストも含めて自分たちの音楽に対するこだわりが非常に強いわけです。売れる売れないというより、レーベルのオーナーが、テイスト感の合ったものを育てる、趣味で集める、それが結果としてビジネスにもなるという意識が強いわけです。普段は自分たちのファンだけの前でやっているバンドが、他のバンドのお客さんにも見てもらえる。お客さんも、他のバンドの演奏を知ることができる。そんな広がりと場がインディーズの音楽シーンにも、もっとあっても良いんじゃないかと思います。既に「来年はいつやるの?」とレーベルオーナーやアーティストに質問されるようになり、ニーズが国内外問わず強くあるんだなと感じましたね。
これまでindependence-Dを行うことによって、いくつかの改良点なども見つかり、年々完成度も高くなったと思っています。当初の計画通り3回目でindependence-Dは、一旦終了ということになりましたが、近いうちに再開できたら「夢」も含めて、次のシーンへの展望も見えてくる、次の夢を育てていけるのではないかと思っています。
個人的には、これは公式発言としてではありませんが(笑)、いつかアジア最大の音楽万博をやりたい、やれたらいいな、誰かやりましょうよ、みなさんやりましょうよということを、今後の夢として語っておきたいと思います。
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(社)音楽制作者連盟理事
independence-D プロデューサー
小杉茂
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